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Project Story プロジェクトストーリー
Project
海洋鋼構造
キャリアステップ
事業分野・職種
Phase 01

「桟橋の上を巨大な飛行機が離着陸する」。従来の常識では考えられない構造物に挑んだのが、東京国際空港(羽田)D滑走路建設プロジェクトだ。このプロジェクトは、4本目となるD滑走路と国際線地区を整備して、年間の発着能力を約30万回から約41万回に増強し、利用者の利便性の向上、国際定期便の受け入れを可能にするというものだった。しかし、この計画には大きな課題があった。それは滑走路の一部が多摩川河口域に接し、通水性を確保しなければならないということ。水の流れを止めてしまう通常の埋立構造は使用できない。そこで取り入れたのが、世界初の埋立・桟橋組合せ構造の滑走路だ。多摩川河口域にはジャケット方式桟橋構造を採用し、海底下に打ち込んだ杭に鋼鉄の「ジャケット」と呼ばれる構造物を被せて固定するというものだ。このジャケットの設計や製作、施工ノウハウに関して他社を圧倒する技術力を有していたのがNSENGIだった。前例のない構造物の構築に向けてNSENGIの挑戦が始まった。

Phase 02

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ジャケット方式桟橋の設計に携わったのが技術士の風野裕明である。彼がプロジェクトに参加したのは2001年のこと。1993年入社の風野は、これまでにも東京湾横断道路(アクアライン)の人工島の内部床工事など多くのプロジェクトに関わってきた技術士である。しかし、これほどハードルの高いプロジェクトは初めての経験。風野がまず目を見張ったのがその巨大さだった。桟橋部分だけでも全長1,100m、幅524mという巨大な構造物。使用する鋼材重量も43万トンにも及ぶ。東京タワー約100基分という膨大な量である。この巨大な構造物をどう設計していくのか? それが風野に与えられたミッションだった。計画段階の図面はジャケットだけでも約4000枚、実行段階ではその3倍もの膨大な図面を起こさなければならない。しかも滑走路の供用年数は100年。はるか未来の100年後も耐えられる設計でなければならない。この難題に向かって風野たちは、持ちえる技術とノウハウを最大限に駆使して設計に没頭していく

Phase 03

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しかし、設計過程で大きな問題が生じる。進めてきた設計が100年耐えられる構造ではないことが判明したのだ。早急に設計を見直し、改善策を見出さなければならない。しかし、この設計自体が未知の領域。世界中を探しても参考になる構造物はなく、ましてや設計は皆無。風野をはじめとした関係者は、発想そのものを変えて、まさに寝食を忘れてあらゆる観点から巨大構造物の耐久性への「解」を求めて試行錯誤を繰り返した。その努力の結果、2006年8月に100年耐えられる設計が無事に完成。翌年には着工、急ピッチで工事が進められる。こうした風野をはじめとした技術者たちが苦難を乗り越えて建設したD滑走路は、2010年10月に供用を開始。現在、多くの飛行機が離発着している。そして、今後100年の間には、数えきれないほど多くの人々が利用し続けることになる。このD滑走路のプロジェクトを振り返った時、社会インフラを支えるという仕事は、遠い未来までをも支えるということを物語っている。